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←入口。右奥は管理事務所。 この遺跡は、昭和30年代に入って、縄文、弥生、古墳時代の3代にわたる集落跡の存在が推測され注目を浴びていました。 昭和36年度に隣接する岡村小学校の校地拡張予定地として市有化され、整備工事計画が具体化されるこtになったため、それに先立ち大規模な調査団が編成され、昭和36年の夏、前面発掘調査が実施されました。 その結果、250戸を超える竪穴式住居や膨大な出土遺物によって貴重な遺跡であることがわかり、昭和38年に永久保存することが確定し、昭和41年4月、国の史跡に指定されました。 (三殿台遺跡パンフレットより) |
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入口近く。 住居の跡がわかります。 右側の建物は住居跡保存棟。 正面奥の建物は岡村小学校。 |
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住居保存棟の中。 中には入れませんので、ガラス越に見学です。 ←火災に遭った住居跡だそうです。 (よくわからない・・・・・(^_^;) |
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←同じく、住居保存棟の中。 かまどの跡だそうです。 |
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奥には3棟の竪穴式住居があります。 |
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これは、弥生時代中期のもの。 昔、教科書で見たことある・・・・・・・。 |
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住居の内部。 ここは内部には何もありません。 中に入ると、土のにおいがして、外より涼しく感じました。 |
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こちらは、古墳時代後期のもの。 上の住居と屋根と出入り口の位置関係が違うのは何か意味があるのかしら? |
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外形は少し角ばっている感じです。 | ||
こちらにはかまどがありました。 | ||
屋根です。 当然、当時は針金は使われていなかったんだろうな・・・。 古代と現代のコラボレーション? |
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最後は、縄文時代中期のもの。 出入り口が他に比べて大きいですね。 |
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左奥に見えるのは、岡村小学校の校舎。 木のすぐ左側、校舎の上に伸びる塔のような建物は、横浜ランドマークタワーです(ちょっとわからないかな?) 古代人はここから何を眺めていたのでしょうか・・・? |
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入口と道路を隔てた側には、貝塚跡があります。 住宅街の中にある原っぱとしか見えませんが・・・。。 |
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